たなばたと日本神道の心でピンチをチャンスに

 7月7日は、たなばた(七夕、棚機)でしたね。機(はた)を織(お)る織り姫と、牛を引く彦星が天の川を介して出会えるロマンチックな日で、その織り姫や彦星や天の川に、願いをかける神道行事である『棚機たなばた』と、中国の牽牛織女の伝説が合わさった宮中行事が、庶民に広まったものだそうです。

 宮中行事は皇室神道に基づいて行われます。神道には「人は祖に基づき、祖は神に基づく」つまり「人は先祖から生まれてきて、先祖のおおもとは神様だった」という認識があり、神を西洋のような絶対神でなく、御親の神という近しい家族のような存在と考えました。
 さらに「先祖も神様も神霊界に生きていて、守護霊、守護神となって常に人々を見守り、神徳(幸せ)を与え続けてくださっている」との認識から、良いことがあれば神仏の御加護と感謝して、悪いことがあれば神仏の試練と受け取って謙虚に反省し、「御魂(みたま:心君)の恩頼(ふゆ:栄養)とならしめ給え」と宜り直して、悪いことも次のチャンスに繋ぐ心の糧(かて:栄養)としてきました。

 とりわけ日本の武士は、御成敗式目や武家諸法度を規範として、神仏への御祭(みまつり)をおろそかにしない伝統をつちかい、揺るぎない信仰心を持って、卑怯を憎み惻隠の情を大切にする日本人の国柄を育んできました。
 だから、この信仰心によって、 日本の武士は、 いかなる艱難辛苦、天変地変も神の試練と受け取って、逆境にめげず、挫折せず、絶望せず、死をも恐れず、大死一番の覚悟で生きぬき、全ての試練を次に繋がる成長の糧にできたのです。
 日本人は「身体(しんたい)髪膚(はっぷ)これを父母(ふぼ)に受く。あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり。」と、自分の体を父母(先祖、神仏)からの授かりものとして、大切にすることが孝行の最初の一歩だと教えられ、人は神の子、神の宮、身体は御神体と、神様をとても近しい存在と思い、御親の神様のような素晴らしい心になることが、人としての一番の幸せであると考えていたようです。
 ですから、江戸時代には、寺子屋や講堂で孟子や論語などの四書五経を学び、そこに書かれていることを素直に受けいれて、あらゆる逆境を「神が試練を与えて忍耐強い性根を鍛えてくださり、実力を養ってくださっているのだ」と受け取って、乗り越えていたのです。

 それにひきかえ、現代の人々は、学校で四書五経や陰陽五行の太極観を学ぶこともなく、戦後教育の中で神道は悪者のように扱われ、「信仰の自由」と称して日本古来の伝統を大切にしなくなり、大自然の恵みを御親の神に感謝するという謙虚さを失い、自分の信念、信条を第一として生きる人が増えました。
 信仰心の無い人や、太極観を学んでいない人は、その人の信念・信条を信じて行ったことが挫折したとき、信じる拠り所を失い、強い不安を抱き、絶望し、傷つき、何もやる気が起きなくなって、最後には、うつ状態におちいってしまいます。

 信仰心がなくても、四書五経に書かれた太極観を学んでいれば、冬の後には必ず春が来ると思えるようになります。春夏秋冬を繰り返しながら、樹木は年輪を刻み、逞しく育っていくものですから、人も良い経験と悪い経験が交互に来ることで、年輪のように強く逞しく、揺るぎない実力が養われるのです。
 そこに、さらに、信仰心があル人は、様々な辛い経験をポジティブに試練と受け取って、神仏に向かって「御魂(心)の恩頼(栄養)」に変えてくださいと宣り直しすることができます。そうすると神霊界に生きている神仏や守護霊は、人々の親なので、その祈りを必ず受け取ってくださり、100%、ピンチを次のチャンスに繋がるように動いてくださるのだそうです。
 この宜り直しの祈りによって神が動かれるというルール:神約束があるのだと、私が東京で診療している頃に恩師に教えていただきました。

 御親神は、子孫である私達の御魂(心)の幸せと進歩向上を願って、人間社会の玉石混淆の中に生まれさせ、肉体を持って様々な経験を積ませて、たましいを磨いて逞しくしてくださり、温かい愛情を持てるように育ててくださっているのだそうです。

 この世の中には、思い通りにならないことがいっぱいありますが、「たなばた」を機に日本の武士道、神道に立ち返えり、試練を心の恩頼(栄養)に宜り直しして、ピンチをチャンスにしてくださいね。