愛の大きさを試される日々

 人は誰でも常に取捨選択の毎日を送っています。何を食べるか、どんな人と付き合うか、どんな仕事につくか、どんな趣味を持つか、どんな生活を送るか、すべてが人の自由意志に任されています。

 しかし、日本に生まれた、この時代に生まれた、男性に生まれた、女性に生まれた、お金持ちの家に生まれた、貧乏な家に生まれたなど、出生の自由はありません。
 また、健康に恵まれるか病気がちか、人間関係の善し悪し、経済状況の善し悪し、社会情勢の善し悪し、天変地変など、自分の自由裁量で何ともならないことも少なくありません。

 私の医療という仕事には「応招義務」があり、病人を取捨選択する自由はありません。ただし、自分の専門外で対応困難と判断した時は、速やかにしかるべき医療機関に紹介する義務があります。

 当院にも様々な人がいらっしゃいます。年齢も生後1か月から96歳まで様々で、 ほんとうに十人十色です。 そのなかで治療の難しい方を経験すると、医学の知識を学び続け医療の技術を磨き続けることの大切さを痛感して何とかしたいと強く思うときと、こんな人はもう診たくないと思うときがありました。

 私が医師という仕事を選択したのは、中学生の頃に出合った神主の小西繁光先生のおかげです。親戚の紹介で、自宅の家相を見に来てくださったのですが、何も聞かず、 何も求めず、 全て良いようになるから任せなさいと、実家の新しい家相の図面を描いてくださいました。その通りに家を建て直してから、家の中が一変して幸せになりました。

 それまでの私は人間嫌いで動物好きだったので、獣医になりたいと思っていました。小西先生から「医師という仕事は、足の引っ張り合いの競争社会の中で、人を助けて喜ばれて給料がもらえる素晴らしい仕事だ。人は社会動物で一人で生きていけないのだから、多くの人に喜ばれて生活ができる仕事の方が獣医より良いんじゃないか」と言われたのです。

 その神主さんの住む茨城県の筑波大学へ入学したことから、神社に日参するようになり、様々なことを教えていただきました。「神は生まれも死にもしない、目に見えない存在だから、時空を超えて、祈るところに神風が吹く」「人を頼らず神を頼れ」「天に口なし人をして言わしむ」「天に輝く一点の星も地に咲く一輪の花も、訳なくこの世に存在するものは何一つない。すべてに因果があり、神の意志が宿っている、ただ人はそれを知らないだけだ」

 私は漢方専門医で、あらゆる年代の方々の診療をしていますが、西洋医学の専門は小児神経学です。小児期に大病をして重い神経障害をきたすと、一生涯、寝たきりになってしまうことがあります。そんな子ども達を一人でも減らしたいと思い、研修医の頃は小児救急医療に傾倒しましたが、最終的に神経の問題が残ることを実感して、小児神経科医になろうと決めました。

 いざ小児神経科医になってみると、急性期の障害よりも慢性化してしまった神経障害の診療ばかりが増えて、最初の頃は、なん度となく悲しくなったり嫌になったりしました。しかし、この子達も「訳なくこの世に存在するものではない」のだから、必ず神様から見た理由、因果があるはずだと信じて、当時は、あまり注目されていなかった漢方薬を含めて、良いと思うものは何でも試し、できる限りの対応をしてきました。

 こうして三十代で筑波大学の講師になった頃にF先生に出合い、人への誠の愛情とはどういうものかということを、実践、実体験を通して教えていただきました。「人は神の子、神の宮」御親(みおや)の神様の分魂を宿していて、神様の御心にかなう心になるために何度も生まれ変わり死に変わりしながら、御魂(たましい)を磨き続けている存在だと教えていただきました。

 つまり、この世の中のありとあらゆる経験は、魂を磨くために天から与えられた課題であり試練であり、その試練を超える努力から得られた経験知や感動や喜びが、御魂の恩頼(みたまのふゆ)、たましいの栄養となる。神は人の精進努力の誠に応じて、人智を超えたヒラメキや発見、感動を与えてくださるものだと教えていただきました。

 人の持っている時間、寿命、体力、経済力は限られているので、 人智だけではすべてを完璧にこなすことは到底無理です。誠の精進努力をつくすときに、人智を超えた神智、ひらめきや思いがけない展開や縁(えにし)を神が与えてくださり、そのプロジクトが成就できるように導いてくれるのだそうです。

 このような視点から医師という職業を考えなおしてみると、 診療を通して日々医療の技術を磨かせていただけているだけでなく、 医療を通して様々な人と向き合うことで、日々、人智を超えた対応ができるようなチャンスをいただいているのだと思います。
 このように、日々、様々な学びのチャンスをいただいていながら、授業料をお払いすること無く、逆にお給料をいただけているのが医師という職業だと思えるようになりました。
 このような実践ができることを神仏に感謝し、喜びとして行えるようになるまで、神様は、私のクリニックへ様々な患者さんを連れてこられて、私が大きく深い愛情が持てるように鍛えてくださっているのだなと思います。

 私も時には、こういう人は診療したくないなと思うことがありますが、そのたびに「天に口なし、人をして言わしむ」を思い出して、この人を通して、天からのメッセージを正しく受け取れますようにと神仏に祈りながら、診療をさせていただいています。まだまだ修行が足りないなと思います。