「人は何のために生きているんだ?」ある中学生の疑問への答え

 勉強に集中できない、勉強は嫌い、努力しようとすると直ぐに疲れる、好きなゲームには集中できる、学校に行きたくない、めんどくさい。最近、こんな子が増えているような気がします。人生の目標やビジョンを描けない人が増えているのかもしれません。
「人は何のために生きているんだ?」と、母親に尋ねた中学生がいて、そのお母さんは答えられなかったそうです。

実は私も、6歳の頃に、二十歳代の同居していた叔母が、流感?で突然死しました。これを目の当たりにした私は、漠然と、死にたくないと思うようになり、 中学生の頃には、 人は何のために生きているのかと、疑問をもつようになりました。

 私が中学生の時に実家を建て直すことになり、自宅に神社の神主さんが来て、家相の良い家の図面を描いてくれました。この神主さんが、その後の家族や私の人生の大きな転機になりました。その神主さんにこの疑問の答えをいただいたのです。
 私の院長ブログ『大嘗祭に思うこと』で、その神主、小西繁光先生のことを詳しく述べましたが、その神主さんがお亡くなりになった後で、私が東京でクリニックを開院したときにお世話になったF先生に、さらに明確に『人は魂(たましい)を磨いて向上するために生まれてきた。魂の向上こそが真の幸福である。その人の魂の向上を願って、その人の 前世から来征まで知り尽くした上で、導いてくださっている神仏が実在している』と教えていただきました。
 人は何のために生まれてきたか。分かりやすく言えば、幸せになるために生まれてきたのだそうです。また幸せになる様に神仏が導いてくれているのだそうです。

 美味しい食事に幸せを感じ、秋晴れの爽やかな空に幸せを感じる人もいるでしょう。結婚できて、家族ができて、子どもが生まれて、仕事に恵まれ、給料がもらえて、車が買えて、家が建てられて、旅行に行けて、気晴らしができて、ほしいものが何でも得られたら、とても幸せかもしれません。
 しかし、物や現実の幸せは、いつまでも長く続きません。季節が巡るように、春になり夏になって、全盛期を迎えても、やがて秋が来て、冬になります。本当の幸せは、この冬を越えた先にあるのです。
 この世の様々なこと(森羅万象)や出会いの中で、苦しみ、葛藤し、苦労して超えてきた経験が、心の栄養(御魂の恩頼(みたまのふゆ))になり、人の心に、春や初夏のような温かさと息吹を与えて、逞しく、向上して、真の感動を呼ぶのです。
 山登りの感動と同じで、苦労して達成したことは感動もひとしおで、より大きな幸福感が得られます。

 東洋哲学の陰陽太極論を学ぶと、春を迎える前には、必ず厳しい冬を超えなくてはいけないことが分かります。冬を避けては、春を迎えることができません。
 長文ですが、私の大好きな孟子の以下の言葉を読んでみてください。

 孟子曰:「舜發於畎畝之中,傅說舉於版築之閒,膠鬲舉於魚鹽之中,管夷吾舉於士,孫叔敖舉於海,百里奚舉於市。故天將降大任於是人也,必先苦其心志,勞其筋骨,餓其體膚,空乏其身,行拂亂其所為,所以動心忍性,曾益其所不能。人恒過,然後能改;困於心,衡於慮,而後作;徵於色,發於聲,而後喻。入則無法家拂士,出則無敵國外患者,國恒亡。然後知生於憂患而死於安樂也。
 以下に口語訳http://sorai.s502.xrea.com/website/mencius/mencius12-15.html を引用しました。
孟子は言う。
「舜は、田畑を耕す農夫より身を起こした。傳説(ふえつ)は、版築(はんちく。城壁)作りの土方から抜擢された。膠鬲(こうかく)は、魚塩の売人から抜擢された。管仲(かんちゅう)は、士(この場合は、下級役人)に囚われた罪人から抜擢された。孫叔敖(そんしゅくごう)は、海浜に隠れていた中から抜擢された。百里奚(ひゃくりけい)は、市井の中から抜擢された。
このように、天が地上の人に大任を下そうとするときには、必ずまずはその人の心を苦しめるものなのだ。肉体を苦労させ、餓えに苦しませ、しようとすることをしくじらせる。こうやってその人の心をゆさぶって、忍耐強い性根を築かせ、それまでできなかったことまでも、できるように力をつけさせるのだ。人というものは大抵過ちを犯すものだが、そうした後に、はじめて自分を改めることができるのだ。心が苦しみ、いろいろ思案をめぐらせて、そうした後に、はじめて発奮することができるのだ。苦悩が顔に表れ、声を発するようになって、そうした後に、はじめて悟ることができるのだ。国の中に法刑に厳しい士も君主を諌める側近もなく、国の外には敵国も外患のおそれもないようであれば、その国はやがて必ず滅ぶであろう。こうして、憂患は生につながるのであって、安楽は死につながるものであることを知る。」

 日本人は、昔から『天(神仏)』の存在を意識して、『おてんとうさんが見ているからね』と、良いことは天の助けと感謝して、悪いことは天の試練と受容して、常に勇猛心と向上心を持ち続け、惻隠の情を尊び、卑怯を憎む国民性をつちかってきました。
 このコロナ禍の中で、日々のニュースを見ていて、まさにピンチはチャンスと、向上心を前に建てて、勇猛心で超えていこうとしている人々に感動し、応援したくなります。

 人は誰でも、日々、様々な壁にぶつかります。健康問題、金銭問題、人間関係など、そのような壁に戦いを挑み、何とか超えていこうとする時に現れる様々な苦悩や葛藤の中でしか、新たな発見や起死回生のチャンスは生まれません。その発見やチャンスを形あるものにする過程で、心も強く、太く、逞しくなれるのです。そうして心を立派に育て終わって、たましいの故郷である、あの世に帰って行くのです。その為に、全ての人々は、時に厳しく、時に優しく 神仏(天)に守られながら生きているのだと、小西先生とF先生に教えていただきました。